難しいね。

オトンに逢いに行って思ったこと。


オカンといつも言うてるのだが、ウチのオトンがいる病室って例の86歳の認知症のおじいちゃまとオトンとあとの2人は意識がほとんどない状態の人達なんだが。

オカン以外、家族が見舞ってる様子、ゼロらしく。

確かに、病人抱えてたら医療費だってかかるから、家族は大変だと思います。
それぞれにお家事情があるから、そんなに毎日見に来られないこともあると思います。

でも、中には。

意識がないことや、認知症(痴呆)だということを幸いに病院に放り込んだままという状態の患者さんも多数いるのも事実です。


何だか、なぁ・・・・。


そういうのって哀しい。

意識がなくたって、すぐ忘れちゃったりしても、家族は家族なのに。
ウチのおばーちゃんもアルツハイマーだったから、逢いに行った側から忘れられて、「誰も来てくれへん」とか言うてました。
でも、逢いに行けばやっぱり喜んでくれて。
だから、孫のアタシの名前はいっぱいいる孫の中で一番最後まで覚えててくれたもん。

意識がない人でもね、家族の声は違うんだよ。
ウチのオトンがそうでした。
先生や看護師さんがどんだけひっぱたいても意識が戻らなかった時に、オカンが手握ってひっぱたいてしたら、徐々に反応しだしたらしく。
家族の声や手はやっぱり違うんやなって。

オトンがいる病院の看護師さん達も言うてました。

「どんなにアタシ達が手厚く看護しても、家族の存在には敵わない」

って。
そりゃ寝たきりの患者を着替えさせたり、寝かせたり、寝返り打たせたり…と、看護師さんの方が手際がいいのは当然のこと。
でも、やっぱり『家族』の存在の大きさは何物にも変えられないそうです。

だから、オカンはどんなに暑くても、雨が降っても、しんどくても、オトンに毎日逢いに行ってる。
相変わらず、全然食べないオトンに何とか食べられるようにしようと手を変え品を変え。
オトンも叱られながら、何とか食べようと頑張ってるし。

そういうオカンのこと、すごく尊敬してます。

アタシは週末にしか逢いに行けないけど、ちょっとゆっくり寝たいよなーと思うけど、でもオトンに忘れられないためにも(笑)行くのです。

行く度に、ちょっと不思議顔で見てるオトンにいつも聞いてやるのです。

「アタシは誰でしょう」と。

今のところ、覚えているようだが(笑)
しかーし、昨日、アタシの誕生日は忘れてやがりました。

自分の誕生日・オカンの誕生日・結婚記念日と、以前、何回聞いても思い出せなかった銀行口座の暗証番号も覚えていたのにーーーーー!!!!

アタシの誕生日は、と聞くと「・・・・・・・」(待て)

ま、いっか。暗証番号思い出してくれたし(おい)



行っても行かなくても同じだから、行かない_______________それはあまりにも淋しすぎます。

アタシは、行っても行かなくても同じ状態にオトンがなったとしても、やっぱりちゃんと逢いに行くよ、うん。

オトンは家で死にたいと言うてるので、絶対、退院させるつもりだし。

おじぃがずっと帰りたいって言ってたのに、結局帰れずに病院で死んでしまったから余計、そう思うのかも。

それで寿命が縮まったとしても、本望かな、なんて。